投稿者: sayson

  • あなたは彫れる木ですか?

    「腐った木には彫刻は出来ない。

    腐った土は壁に塗れない。

    それと同じように、人間として堕落している者には教育出来ない。

    寝ているようじゃ、私はもう怒る気にもなれないよ」

    この言葉を聞いたとき、正直ドキッとした。

    厳しい。でも、どこか優しい。

    技術の世界でも、人の世界でも同じだと思う。

    どれだけ腕のいい職人でも、芯まで腐った木からは美しい彫刻を生み出せない。

    どれだけ優れた左官でも、腐った土では壁は持たない。

    材料がダメなら、技も理論も意味をなさない。

    人も同じ。

    知識を与える前に、技術を教える前に、

    そもそも「受け取る姿勢」がなければ何も入らない。

    ここで言う「堕落」とは、悪いことをしている人の話じゃない。

    本当に怖いのは、考えることをやめている状態。

    努力を放棄し、成長する気もなく、ただ流されている状態。

    寝ているような人に、どれだけ大きな声で怒っても意味がない。

    相手が起きていないからだ。

    だからこの言葉の一番怖いところは、

    「怒られなくなった時」かもしれない。

    怒られるうちは、まだ期待されている。

    まだ可能性があると思われている。

    でも、怒る気にもならないというのは、

    もうその人を材料として見ていないということ。

    これは教育の話だけじゃない。

    仕事も、人間関係も、人生そのものも同じだと思う。

    環境のせいにする前に、誰かのせいにする前に、

    自分はちゃんと「彫れる木」なのか。

    「壁に塗れる土」なのか。

    完璧じゃなくていい。

    未熟でもいい。

    でも、腐ってはいけない。

    起きているか。

    考えているか。

    挑戦する気があるか。

    その一点だけは、常に自分に問い続けたい。

  • マトリックス

    マトリックス

    映画 マトリックス は、単なるSFアクション映画ではない。

    あの作品が放つ違和感は、公開から20年以上経った今でも色褪せない。それは銃撃戦やスローモーションのかっこよさではなく、「現実とは何か?」という問いが、こちらの人生にまで食い込んでくるからだ。

    マトリックスの世界で、人類は何気ない日常を生きている。仕事に行き、恋をし、疲れて眠る。そのすべてがプログラムだとも知らずに。

    この構造は、古代ギリシャの哲学者プラトンが語った「洞窟の比喩」とほぼ同じだ。洞窟の奥で壁に映る影だけを見て育った人々は、それを現実だと思い込む。外の世界を知らないから疑いようがない。

    ネオは、その洞窟から無理やり外へ引きずり出される存在だ。

    赤いピルを飲むという選択は、ヒーローへの第一歩ではない。むしろ、これまで信じていた世界が崩壊する入口だ。寒く、汚れ、絶望的な現実。それでも戻れない。なぜなら「知ってしまった」から。

    ここでマトリックスは、かなり残酷な真実を提示する。

    真実は人を救わない。

    安心も保証もしない。

    ただ、目を覚まさせるだけだ。

    この考え方はデカルトの哲学にも重なる。

    自分が見ている世界は、本当に存在しているのか。それとも誰かに見せられている幻なのか。

    もし感覚すら信用できないなら、何を拠り所に生きるのか。

    マトリックスの中で唯一確かなのは、「疑っている自分がいる」という意識だけだ。

    さらに仏教的な思想も色濃く漂う。

    世界は幻想であり、執着こそが苦しみを生む。

    作中でネオが常識外れの力を発揮する理由は、訓練や努力ではない。

    この世界は現実ではないと、腹の底から理解したからだ。

    信じるのではなく、手放す。そこに自由が生まれる。

    赤いピルと青いピルは、単なる二択ではない。

    青は「考えなくていい人生」。

    赤は「考え続けなければならない人生」。

    どちらが正解かは、映画は決して教えてくれない。ただ、選択の責任は自分に返ってくる。

    登場人物の名前も象徴的だ。

    ネオは新しさであり、同時に唯一の存在。

    モーフィアスは夢の神で、人々を眠りから起こす役割。

    トリニティは精神、肉体、意志の結合。

    そしてエージェント・スミスは、意味も感情も持たないはずのシステムが、人間以上に人間的な憎悪を持つという皮肉の象徴だ。

    この映画が本当に怖いのは、支配の描き方にある。

    暴力ではなく、快適さで人は支配される。

    疑問を持たなくていい社会。

    選択しなくていい人生。

    違和感を感じない日常。

    それはディストピアではなく、むしろ理想郷に近い顔をしている。だからこそ厄介だ。

    マトリックスは、世界を疑えと言っているわけじゃない。

    「疑う力を手放すな」と言っている。

    目覚めることは、楽じゃない。

    でも、目を閉じたまま生きるよりは、ずっと誠実だ。

    この映画を観終わったあと、現実は何も変わらない。

    ただ一つ変わるのは、

    「本当にそうか?」と立ち止まれる自分が残ること。

    それこそが、マトリックスが今も生き続けている理由だ。

  • バックトゥーザフューチャーはSF映画じゃない 人生の設計図の話だ

    バックトゥーザフューチャーはSF映画じゃない 人生の設計図の話だ

    バックトゥーザフューチャーと聞くと

    デロリアン

    タイムトラベル

    そんな映像的なイメージが真っ先に浮かぶ人が多いと思う。

    でもこの映画 本質はSFじゃない。

    これは

    自分の人生をどう生きるか

    過去とどう向き合うか

    未来は本当に決まっているのか

    という話だ。

    主人公のマーティは

    最初から特別な才能があるわけでも

    強い意志を持っているわけでもない。

    むしろ

    ちょっと自信がなくて

    家庭環境にも不満があって

    現状を変えたいけど動けない

    ごく普通の若者だ。

    そんな彼が過去に飛ばされる。

    ここで重要なのは

    過去を変えたから未来が変わった

    という単純な話じゃない。

    過去に行ったことで

    父親の弱さを知り

    母親の未熟さを知り

    家族をただの不満の対象じゃなく

    一人の人間として見るようになる。

    視点が変わる。

    この視点の変化こそが

    未来を変える正体だ。

    バックトゥーザフューチャーが面白いのは

    未来は決まっていない

    でも 何もしなくても変わるわけじゃない

    という現実的な立場を取っているところ。

    未来は白紙だ

    と無責任に言わない。

    自分の選択と行動が

    積み重なった結果として

    未来ができる

    それだけだ。

    映画の中で繰り返し出てくる言葉がある。

    未来は君次第だ

    というメッセージ。

    これ

    自己啓発っぽく聞こえるけど

    実はかなり厳しい言葉でもある。

    誰かのせいにできない

    環境のせいにもできない

    選ばなかった自分の責任も含めて

    未来は自分が引き受けるしかない。

    この映画が何十年経っても色褪せないのは

    未来を変える方法を

    派手な魔法じゃなく

    小さな勇気と行動として描いているからだと思う。

    一歩踏み出す

    怖くても選ぶ

    過去を直すんじゃなく

    過去の意味を変える。

    バックトゥーザフューチャーは

    タイムマシンの話じゃない。

    今この瞬間をどう生きるか

    その問いを

    エンタメの皮をかぶせて

    めちゃくちゃ楽しく突きつけてくる映画だ。

    もし最近

    自分の人生が停滞してる気がするなら

    もう一度観てほしい。

    未来は

    まだ決まってない。

    次どうするかで変わる。

  • サーバーの引越しをなめてたら地獄を見た話

    サーバーの引越しをなめてたら地獄を見た話

    サーバーの引越しは軽い気持ちでやると、だいたい痛い目を見る。

    今回、久しぶりにWordPressのサーバー引越しをやったんだけど、正直な話、完全になめてた。

    データを移して、DNS変えて、はい終了。

    昔はそれで済んでた記憶がある。

    でも今は違う。

    テーマ、プラグイン、PHPのバージョン、セキュリティ設定、キャッシュ。

    そして何より、データベース。

    最初に出たのは404エラー。

    「DNSの反映待ちやろ」と思って様子見。

    しばらくすると403エラー。

    この時点で嫌な汗が出る。

    管理画面には入れる。

    でも固定ページが更新されない。

    投稿も反映されない。

    表示はされているのに、触れない。

    この時点で薄々気づく。

    あ、これDB絡んでるな、と。

    サーバー引越しで本当に厄介なのは、ファイルじゃない。

    データベースだ。

    WordPressは見た目はファイルで動いてるように見えるけど、

    実際は中身のほとんどがデータベース。

    記事

    固定ページ

    メニュー

    ウィジェット

    テーマの設定

    プラグインの設定

    全部DB。

    今回は、引越し前のURL情報がデータベースに残ったままだった。

    表示はされるけど、更新しようとすると弾かれる。

    管理画面と実体がズレた、いちばん厄介な状態。

    さらに追い打ちをかけたのが、

    サーバー側のWAFとパーミッション。

    DBは合ってない

    WAFは怪しい動きをブロック

    ファイル権限は微妙にズレてる

    単体では小さな問題。

    でも全部重なると、原因が見えなくなる。

    PHPのバージョンを下げたり

    プラグインを止めたり

    テーマを疑ったり

    色々やったけど、

    最終的にちゃんと効いたのは地味な作業だった。

    データベース内のURLを正しく書き換える

    wp-configを引越し先仕様に合わせる

    不要なキャッシュを完全に切る

    WAFを一時的に緩める

    パーミッションを一つずつ確認する

    派手なことは一切してない。

    ただ、整合性を取っただけ。

    今回の教訓はこれ。

    サーバー引越しは

    技術作業じゃなくて

    整合性チェックの作業。

    特にデータベースは

    「ちゃんと移したつもり」が一番危ない。

    表示されてるから大丈夫

    ログインできるから大丈夫

    その油断が一番長引く。

    全部直ったあと、

    何事もなかったかのように表示されたトップページ。

    あれはちょっとした達成感がある。

    サーバー引越しは

    成功すると何も起きない。

    失敗すると全部止まる。

    これから引越しする人へ。

    時間は、思ってる倍みといた方がいい。

    そして

    今、問題なく表示されているなら

    それはもう立派な成果。

  • 「奪っている自覚がない人が、一番多くを奪っている」

    「奪っている自覚がない人が、一番多くを奪っている」

    モラルの話をすると、多くの人はこう言う。

    悪気はなかった。

    そんなつもりじゃなかった。

    確かに、悪意のある人は分かりやすい。

    けれど本当に厄介なのは、何もしていないと思っている人だ。

    奪っているという感覚すらないまま、

    ただ日常を過ごしている人がいる。

    時間を守らない。

    人を待たせる。

    相手の集中や段取りを止める。

    一つひとつは小さなことに見える。

    一回だけなら問題にならない。

    誰かが強く怒るほどでもない。

    けれど、その積み重ねは確実に相手の人生を削っている。

    削られているのは、お金でも物でもない。

    二度と戻らない時間だ。

    それでも本人は気づかない。

    奪っているという自覚がないからだ。

    自分はただ、そこにいただけ。

    少し遅れただけ。

    少し甘えただけ。

    そう思いながら、

    相手が差し出したものを当然のように受け取っていく。

    気づいていないテイカーは、

    自分をテイカーだとは思わない。

    だから反省も、修正も起きない。

    かく言う私も過去には上に書いた状態だったこともある。もしかしたら、今もそういう時もあるかも知れない。しかし、出来る限りそのような状態にならないように心掛けている。

    話が逸れたが、ギバーは違う。

    与えているかどうかより、

    奪っていないかを考える。

    自分の都合が、

    誰かの時間を壊していないか。

    誰かの人生を削っていないか。

    モラルとは、ルールを守ることではない。

    見えない損失を想像できる力だ。

    奪う側に立つ可能性が、

    自分にもあると疑えるか。

    その問いを持った瞬間、

    人はもう無自覚なテイカーではいられなくなる。

    昨日も時間の話を書きました。

    https://camtha.com/blog/99-blog/time/

  • 時間を守る人が静かに積み上げているもの

    時間を守る人が静かに積み上げているもの

    時間に遅れる人がいます。

    きっと悪い人じゃない。

    仕事もできるし、話せば面白い。

    でも、だいたいいつも遅れてくる。

    5分。

    10分。

    たったそれだけの話に見えるかもしれない。

    でもね。

    時間って、ただの数字じゃない。

    時間に遅れるということは

    相手の生きている時間を

    奪っている、ということでもあります。

    その人が

    今日使えるはずだった時間。

    休めたかもしれない時間。

    次の予定に使えたかもしれない時間。

    それを

    自分の都合で

    少しずつ削っている。

    大げさに聞こえるかもしれないけど

    時間は、その人の人生そのものです。

    ある意味で、寿命を削っていると言ってもいい。

    待っている側は、何もしていないようで

    実はずっと気を使っています。

    来るかな

    来ないかな

    連絡は来るかな

    次どうしようかな

    この

    目に見えない消耗は

    確実に蓄積していく。

    よくある言い訳も分かります。

    ちょっと押してて

    道が混んでて

    忘れてて

    人生はだいたい予定通りにいかない。

    でも、一度や二度なら事故。

    毎回なら、それは性格じゃなく習慣です。

    時間を守る人は、時間に厳しい人じゃない。

    相手の人生を、自分の人生と同じ重さで

    扱っているだけです。

    逆に言えば

    時間を守らないという行為は

    無意識のうちに

    相手の人生より

    自分の都合を優先している

    というメッセージになる。

    そして、もう一つの結果。

    時間にルーズな人が、失っていくのは

    信用だけじゃない。チャンスです。

    仕事を任されなくなる。

    声がかからなくなる。

    大事な話が回ってこなくなる。

    嫌われたわけじゃない。

    ただ、任せるには怖い、そう判断されているだけ。

    信用とチャンスは、一瞬では失われない。

    でも。小さな遅刻が少しずつ少しずつ、人生ごと

    距離を作っていく。

    これは罰じゃない。

    自然現象です。

    信頼は積み上げ式。

    時間は。その一番下にある土台です。

    もし、時間を軽く扱っている自覚があるなら

    今日からでいい。

    10分早く動く。

    5分前に着く。

    遅れそうなら、先に一言入れる。

    それだけで、奪わなくて済む時間がある。

    時間を守るというのは、相手の人生を

    ちゃんと尊重しています

    という

    一番分かりやすい意思表示です。